No.046 川内型軽巡洋艦1番館 川内

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概要

1922年(大正11年)2月16日、本艦は三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて起工 。
川内は1923年(大正12年)10月30日に進水し 、就航してすぐ、揚子江での哨戒任務に就く。日中戦争では第一水雷戦隊旗艦として中国南部への日本軍の輸送を擁護した。

南方作戦

第三水雷戦隊の旗艦としてマレー作戦に従事。エンドウ沖海戦では輸送船団は英と豪の駆逐艦2隻の攻撃を受けたが、1隻を撃沈、スマトラ島への日本軍の上陸の掩護し、軽巡由良と合流のちシンガポールから逃げたイギリス、オランダの艦船をマラッカ海峡で掃討を行った。

ミッドウェー海戦

第三水雷戦隊は山本五十六直卒の主力部隊に所属。警戒部隊(第一戦隊、第三水雷戦隊、鳳翔他)として主力部隊から分離ミッドウェー島に向かうも後方600浬にとどまり大きな貢献はできなかった。呉帰投後、インド方面通商破壊作戦のため南西方面艦隊に配属されたが、ガダルカナ島の戦いが始まり中止。

ガダルカナル島の戦い


増援部隊として第三水雷戦隊 旗艦の川内は主に輸送船団の護衛が主であったが輸送船団の損耗が激しく、 第二次ソロモン海戦で日本海軍は空母龍驤・駆逐艦睦月・輸送船金龍丸を喪。 輸送船団によるガ島突入は中止され、 駆逐艦による強行輸送作戦が始まる。

日米双方による輸送作戦は 、ガ島ヘンダーソン飛行場の存在により米軍に分があり、米軍の輸送船団を迎撃すべくガ島ルンガ泊地へ突入するも、アメリカ輸送船団は存在せず、巡洋艦による艦砲射撃も効果は不明で総攻撃も中止された。

戦艦金剛、榛名による ヘンダーソン基地艦砲射撃は効果のあったもの、アメリカ軍機の空襲による輸送船、駆逐艦の損失により、輸送作戦は苦戦、揚陸した物資も焼き払われてしまう。

その後、増援部隊指揮官の職務は第二水雷戦隊に引き継がれ第三水雷戦隊はトラック泊地へ向かう。

第三次ソロモン海戦では戦艦霧島、比叡をはじめ多くの輸送船も壊滅され日本軍のガダルカナル島奪還作戦は頓挫してしまう。

ガダルカナル撤退作戦~昭和18年前半

1943年(昭和18年)1月20日、第三水雷戦隊司令部および2隻(川内、白雪)は南東方面部隊に編入され、川内はラバウルへ進出。ガダルカナル撤退後、ニューギニア方面に作戦の重点を移したが、ビスマルク海戦にて米航空部隊により、輸送船団と駆逐艦4隻を失う。

一方、ソロモン諸島方面は米軍がニュージョージア島、レンドバ島などに上陸し、日本軍も輸送部隊を増強し対抗するが、航空部隊により、多くの艦艇を失い、ニュージョージア島は陥落する。

ブーゲンビル島沖海戦

日本海軍の第一航空戦隊の艦載機をラバウル方面の地上基地に配備し、「ろ号」作戦を発動。米軍は、ハルゼー提督ひきいる機動部隊との間で航空戦となり、その間に発生した海戦がブーゲンビル島沖海戦である。米軍の輸送部隊を襲撃するためラバウルを出撃した日本海軍と輸送船団を守るため米艦隊も進出し、海戦が勃発。その中で川内と第二襲撃部隊は最初に集中砲火を受け、川内に魚雷2本が命中。日本軍は配送し、損傷した川内も駆逐艦により発見され、魚雷攻撃の後、砲撃され沈没した。

参照 wikipedia 川内(軽巡洋艦)

艦これの川内

橙色のセーラー服、黒スカートの出で立ち。茶髪のセミロングに髪と同じ茶色い瞳。妹たちのアイドル性はなく、お姉さんらしく振舞うこともあるが、子供っぽい一面があります。

史実でも夜戦が多いため、夜中に騒いでいる軽巡はたいてい彼女である。彼女の書いた掛け軸や七夕の短冊には「夜戦主義」の文字が。

 

ノースリーブにプリーツスカートの改二の彼女は、夜戦用偵察機である「九八式水上偵察機(夜偵)」、そしてお馴染み「探照灯」の夜戦3点セットが装備され。夜戦バカが強調されてます。

 

 

プラモデル

青島文化社

ウォーターラインシリーズとして1943年当時の姿を再現しております。

水雷戦隊旗艦であった頃の勇壮な姿を再現

1/700 日本海軍軽巡 川内 アップグレードセット

 ファイブスターモデルより、多数のエッチングパーツ、レジンパーツ、金属パーツで装飾した川内にアップグレードできます。

 

 

写真集

雑誌「丸」編集の往年の姿を顧みる写真集です。強力な駆逐艦群を統率した雄姿が納められてます。
 

フィギュア

改二後の勇ましい姿が、いろいろなポーズをとれる可動フィギュアです。夜戦装備に欠かせない「九八式水上偵察機」や「魚雷」が付属。

那珂改二・神通改二の艤装(=ステージ仕様)と併せて、3姉妹を揃えると巨大ステージが完成します。

 

 

 

艦これ 関連グッズ

 
 
 
 

夜戦仕様

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 

  

 

基本情報

建造所 三菱造船長崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 軽巡洋艦
級名 川内型軽巡洋艦
艦歴
発注 1920年計画
起工 1922年2月16日
進水 1923年10月30日
就役 1924年4月29日
最期 1943年11月2日戦没
除籍 1944年1月5日
要目(竣工時)
基準排水量 5,195トン
常備排水量 5,595トン
全長 162.15 m
最大幅 14.2 m
吃水 4.8 m (常備)
主機 三菱パーソンズ式オールギアードタービン(高低圧)4基4軸
出力 90,000馬力
最大速力 35.3ノット
乗員 竣工時定員446名[1]
兵装 50口径14cm単装砲7門
61cm連装魚雷発射管4基8門
40口径8cm単装高角砲2門
九三式機雷56個
装甲 水線64mm、甲板29mm
搭載艇 1機

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