No.283 伊十五型潜水艦(巡潜乙型 7番艦 伊号第二十六潜水艦
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概要
1939年(昭和14年)の第四次海軍軍備補充計画(④計画)により、1939年6月7日に呉海軍工廠で起工。1940年(昭和15年)4月10日に進水、1941年(昭和16年)11月6日に竣工。竣工と同時に横須賀鎮守府籍となり、第六艦隊第1潜水戦隊第4潜水隊に編入された。
太平洋戦争初戦、貨物船シンシア・オルソンを沈没させ、日本海軍初の潜水艦による戦果となる
太平洋戦争
二式大艇による第一次K作戦、アリューシャン方面のアッツ、キスカ島占領のAL作戦に参加し、シアトル近海に進出し、米貨物船コースト・トレーダーを魚雷で沈没させる。
南太平洋
ソロモン諸島で南東沖で米機動部隊と死闘を繰り広げ、空母サラトガに魚雷を1本命中させ行動不能にした。その後、ガダルカナル付近で米艦隊に発射した魚雷3本のうち、1本が重巡洋艦に命中し船体が2つに割れ20秒で轟沈。
西太平洋
二式飛行艇によるゴア港強行偵察を支援するため、モルディブ近海に到着。二式大艇はふろーとが損傷し、転覆したため処分。その後、通商破壊作戦にてタンカーや貨物船を雷撃、シンガポールへ帰投する。
最後
正式には記録はありませんが、フィリピン方面にてマニラ沖520浬付近に米空母4隻発見した後、消息を絶つ。
アメリカ側の記録には、26日、米護衛駆逐艦リチャード・M・ローウェルが北緯09度45分東経126度45分の地点でヘッジホッグにより潜水艦を撃沈したとあり、これが伊26の喪失原因として有力視されている。
艦これの伊-26
姉に伊-19の「イク」の妹の「二ム」。自分のことを「二ム」と呼んでほしいと言っている。白いラインの入ったスク水に、セーラー服の白襟の付いたパーカーを羽織ってますが、ファスナーは胸のせいかそれ以上には上がらないようです。
「ねえねえねえ、提督」、「なになになに?出番?」など同じ言葉を3回繰り返す口癖。無邪気な性格で小動物のように動き回り、落ち着きないように思われるが、秘書艦任務や家事全般もこなす。
プラモデル
ウオーターラインシリーズはなくタカラから塗装済みの半完成品で水に浮かせることができます。
グッズ
長財布
B2タペストリー
同人誌
抱き枕
基本情報
艦歴 | |
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計画 | 第四次海軍軍備補充計画(マル4計画) |
起工 | 1939年6月7日 |
進水 | 1940年4月10日 |
就役 | 1941年11月6日 |
その後 | 1944年11月21日亡失認定 |
除籍 | 1945年3月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:2,198トン 常備:2,584トン[注釈 1] 水中:3,654トン |
全長 | 108.7m |
全幅 | 9.30m |
吃水 | 5.14m |
機関 | 艦本式2号10型ディーゼル2基2軸 水上:12,400馬力 水中:2,000馬力 |
速力 | 水上:23.6kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:16ktで14,000海里 水中:3ktで96海里 |
燃料 | 重油:774トン[注釈 2] |
乗員 | 94名[2] |
兵装 | 40口径14cm単装砲1門 25mm機銃連装1基2挺 53cm魚雷発射管 艦首6門 九五式魚雷17本 |
航空機 | 零式小型水上偵察機1機 (呉式1号4型射出機1基) |
備考 | 安全潜航深度:100m |